イケメン力士としても人気の時疾風(ときはやて)関。
ここでは
・時疾風関の学歴まとめ!
・時疾風関の学生時代の衝撃エピソード
について調査してみました。
時疾風関の出身小学校について、具体的な学校名は公表されていないようです。
時疾風関は宮城県栗原市(旧栗原郡瀬峰町)出身で、8歳のときに地元の「瀬峰少年相撲クラブ」で相撲を始めました。
旧瀬峰町にある小学校としては、現在の栗原市立瀬峰小学校があります。
そのため、時疾風関も瀬峰小学校に通っていた可能性は考えられますが、本人や学校などによる公式な確認は取れていないため、現時点では「瀬峰小学校ではないか」と推測するにとどめておきます。
時疾風関が相撲を始めたのは、小学2年生のときでした。
当時、周囲の同級生よりも体が大きかったことから、相撲を習っていた友達のお母さんに声をかけられ、地元の少年相撲クラブに入ったそうです。
時疾風関は当時を振り返り、
「周りよりも少し体が大きかったんです。相撲を習っている友達のお母さんから声をかけてもらって、小学2年生のときに地元の少年団に入りました。」
と話しています。
小学生の頃は相撲だけでなく、サッカー、水泳、ソフトバレー、書道などにも取り組んでいました。
さまざまな習い事を経験する一方で、本人は「勉強よりも体を動かすほうが好きだった」とも語っており、幼い頃からスポーツが好きな少年だったことがうかがえます。
時疾風関は、栗原市立栗駒中学校に進学しました。
小学生の頃から相撲に取り組んでいましたが、中学校ではさらに相撲に力を入れるようになります。
それまで続けていたサッカーやバレーボールについては、相撲部の活動日と重なることからやめ、相撲一本に専念するようになったそうです。
また、中学生の頃から宮城県小牛田農林高等学校の相撲部の合宿にも参加していました。
中学生の頃から高校の相撲部で稽古をするなど、早い段階から本格的に相撲の実力を磨いていたことがわかります。
そして中学校卒業後は、相撲の名門として知られる小牛田農林高校へ進学しました。
時疾風関は中学2年生のとき、東日本大震災を経験しています。
2011年3月11日、時疾風関は宮城県栗原市内の学校の体育館で、先輩の卒業式の準備をしている最中に被災しました。
当時はまだ中学2年生でしたが、宮城県で大きな揺れを経験することになりました。
この頃にはすでに相撲に打ち込み、中学生のうちから小牛田農林高校の合宿にも参加していた時疾風関。
中学校時代は、相撲に本格的に専念し始めた時期であると同時に、東日本大震災を経験した時期でもありました。
中学校を卒業した時疾風関は、宮城県小牛田農林高等学校へ進学しました。
実は中学生の頃から同校の相撲部の合宿に参加しており、高校進学前から小牛田農林高校とは縁がありました。
高校では本格的に相撲に打ち込み、全国大会でも好成績を残しています。
時疾風関は高校3年生のとき、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の相撲競技で個人3位という成績を収めました。
これは宮城県勢として45大会ぶりとなる快挙だったそうです。
そんな高校時代の時疾風関には、相撲以外にも微笑ましいエピソードがあります。
バレンタインデーには、女子生徒からチョコレートをもらう機会も多かったそうです。
小牛田農林高校は女子生徒の割合が男子より多かったこともあり、時疾風関は当時を振り返り、
「四捨五入すると10個くらいかな。本命はなかったですけど(笑い)」
と、照れながら語っています。
全国大会で活躍する相撲部の人気者だったことがうかがえる、ちょっと意外な高校時代のエピソードですね。
高校卒業後、時疾風関は東京農業大学へ進学しました。
高校時代から相撲で全国レベルの実績を残していましたが、当時の時疾風関が目指していたのは大相撲の力士ではなく、教員になることでした。
そのため、大学でも相撲を続けながら、教員免許の取得を目指していたそうです。
実際に、大学では中学校の「技術」「理科」、高校の「理科」「農業」の教員免許を取得しています。
大学3年生になると、時疾風関の中で少しずつ進路への気持ちが変化していきます。
3年時には全日本相撲選手権大会でベスト16に進出。
全国レベルで戦える手応えを感じる一方で、同学年だった翠富士関や錦富士関が大学を中退して大相撲の世界へ進んでいたことにも刺激を受け、大相撲入りを意識するようになりました。
それまで「教員になる」という進路を考えていた時疾風関にとって、同世代の力士たちの存在は大きな刺激になったようです。
そして大学4年生になると、全国選抜十和田大会で3位、全国学生相撲選手権大会で個人ベスト32という成績を残しました。
しかし、大学生活最後の大会となった全日本相撲選手権大会では、まさかの予選落ち。
ところが、この結果が時疾風関の進路を大きく変えるきっかけになりました。
「このままでは終われない」という思いが強くなり、これまで目指していた教員ではなく、大相撲の世界に挑戦することを決意します。
教員は年齢を重ねてからでも目指せますが、大相撲の世界には年齢という時間的な制限があります。
大学卒業を目前にして、「今しか挑戦できない大相撲に行ってみたい」という思いが強くなったことが、角界入りを決める大きなきっかけになったようです。
そして大学卒業後の2019年3月場所で時津風部屋から初土俵。
こうして、教師を目指していた大学生・時疾風は、大相撲の世界へ進むことになりました。
ここまで
・時疾風関の学歴まとめ!
・時疾風関の学生時代の衝撃エピソード
についてまとめてきました。
時疾風関は宮城県栗原市出身で、小学2年生の頃に相撲を始めました。
中学・高校・大学と相撲を続け、高校ではインターハイ個人3位、大学では全日本選手権ベスト16など、全国の舞台で実績を残しています。
もともとは教員を目指していた時疾風関ですが、大学時代の経験をきっかけに大相撲入りを決意。
現在の活躍につながる、充実した学生時代を送っていたことがわかりました。
今後の時疾風関のさらなる活躍にも注目したいですね。
なお、時疾風関の結婚相手や子どもについてはこちらの記事で詳しくまとめています。
気になる方は、あわせてチェックしてみてください。